執事の階級
使用人における執事の階級
執事の階級
ヴィクトリア朝(1837~1901年)の英国では、大邸宅の「使用人階級」が厳格に構築されていました。貴族やジェントリ(地主階級)の館には多数の使用人が住み込みで仕え、執事(バトラー)や家政婦長(ハウスキーパー)を頂点に明確な身分序列が存在しました。使用人たちは上級使用人(Upper Servants)と下級使用人(Lower Servants)に大別され、上級使用人は主人一家から直接指示を受ける重職として下級使用人を監督し、下級使用人は屋敷の日常業務に従事しました。以下、この使用人階級制度の構造を役職ごとの職務内容や責任範囲と併せて詳しく解説します。
使用人の階級構造と主な役職
ヴィクトリア朝時代の大邸宅では、使用人の役職ごとに明確な階級(ランク)が定められていました。上級使用人には館全体の運営を担う家令や執事、家政婦長、料理長などが含まれ、下級使用人にはフットマンやメイド、厨司(厨房担当)など日々の雑務を担う者が含まれます。上級使用人は使用人食堂でも上座に着き、執事と家政婦長が合図するまで他の者は着席できないほど、上下関係は厳格でした。以下に主要な職位とその役割を紹介します。

上級使用人(Upper Servants)

・家令(ハウス・スチュワード、House Steward)
大邸宅によっては執事の上位に置かれた最高位の使用人です。
家令は領主一家に代わって家政全般を統括し、使用人の雇用や給料支払い、帳簿管理、物品の発注などビジネス面を受け持ちました。主人不在時には屋敷と領地の運営を任されることもあり、まさに「執事長」的存在です。家令職は19世紀後半には最上級の大邸宅でのみ見られ、規模の小さい家では執事がこの役割も兼ねました。
ハウス・スチュワードとグランド・スチュワードと二種類あります。
・執事(バトラー、Butler)
屋敷内の男性使用人の長であり、一般に主人の公的な召使い長として振る舞いました。
執事の主な職務は主人の食卓管理で、ワインセラーの管理・ワインの選定給仕や、高価な銀食器類の管理に全責任を負いました。晩餐時には燕尾服に白いタイという格式高い装いで給仕し、食卓が正しく整えられているかを監督しました。また男性使用人(フットマンや従者など)の監督者でもあり、館の来客対応や玄関周りの指揮も執ります。執事は主人一家から直接指示を受け、主君の代理人として屋敷運営の表舞台を取り仕切る存在でした。
・家政婦長(ハウスキーパー、Housekeeper)
屋敷内の女性使用人の長です。執事と並ぶ上席者で、女性使用人の採用・解雇や日々の業務配分を司りました。
家政婦長は「鍵の管理者」とも呼ばれ、食料貯蔵室やリネン庫、食器棚などの鍵を預かり、日用品や食材の在庫管理も担いました。主人一家が留守の間も館を預かり、掃除や洗濯など屋敷の衛生管理全般を監督します。家政婦長は制服を着用せず、使用人階級ではありますが主人に近い存在として威厳を保っていました。
・料理長(コック/シェフ、Cook/Chef)
厨房の責任者で、屋敷の食事を取り仕切りました。
格式ある家ではフランス人シェフを雇うことも流行し、その高い技能ゆえに料理長は執事や家政婦長に次ぐ厚遇を受けました。大規模な屋敷では料理人チームの指揮も執り、食事の献立計画から調理、給仕人への指示まで厨房運営を一手に引き受けました。料理長は主人の奥方(主婦)に直属し、日々の食材発注や台所予算について家政婦長と連携しました。
・従者(ヴァレット、Valet)
貴族の男性主人に付き添う身の回り係で、主人個人の私的召使いです。
執事が館全体を見渡すのに対し、従者は主人(もしくは息子など男性家族)の衣食住の世話を専門にします。
具体的には身支度の補助(衣服の着脱手伝い、靴磨き、髭剃り補助)や持ち物の管理、旅行時の荷造り同行などを担当しました。主人専属とはいえ、基本的には執事の指揮系統下にあり(小規模な家では執事が従者を兼ねる場合もありました)、食事の給仕時間帯以外で主人に付き従います。従者は主人と行動を共にするため主家の信頼も厚く、その振る舞いには絶対の礼儀・忠誠・機密保持が求められました。
・侍女(レディーズメイド、Lady’s Maid)
従者の女性版で、主人の妻や娘など女性主人に仕える身の回り係です。
侍女は女性主人の衣装管理・着付け補助、髪結い(ヘアアレンジ)や化粧の手伝い、宝飾品の管理、裁縫や衣類の繕いなどを受け持ちました。ドレスやレース衣装の手洗い洗濯も担当し、主人が最も美しく装えるよう裏方で支える役目です。社交界で定評あるフランス人侍女が特に重宝されるなど、おしゃれの手本である「フランスのエレガンス」を取り入れる動きもありました。侍女も主人に直接仕える個人的召使いのため、従者と同様に主人一家からの信頼が厚い一方、他の使用人とは一線を画す存在でした。
下級使用人(Lower Servants)
・副執事(アンダー・バトラー、Under-Butler)
執事の補佐役で、下級使用人の男性では最上位に位置します。
大規模な館で執事が多忙な場合、筆頭フットマンが「副執事」に昇格して執事不在時に代行を務めました(「ワイン係執事(wine butler)」のように特定任務にあたる副執事が置かれることもありました)。副執事は基本的に上級ではなく下級使用人の扱いでしたが、実質的には執事の右腕として雑務を取り仕切る責任ある役職でした。
・フットマン(Footman)
主に給仕係を務める男性使用人で、大邸宅では複数名のフットマンが hierarchically 雇われました。
フットマンの主な職務は食事の配膳・給仕、来客の案内、戸口の開閉、荷物運搬、主人のお供(馬車の随行や外出時の護衛役)など多岐にわたります。日常的には銀器磨きやテーブルセッティング、灯火の管理(ランプや暖炉の火の世話)なども行い、屋敷の雑用全般の男子要員でした。フットマンたちは身だしなみの良さを求められ、背が高くハンサムな者ほど待遇も良かったといいます。正式な場では主家の紋章入りの華やかなリヴリー(制服)を着用し、主家の威信を体現する存在でもありました。
フットマンには序列があり、最年長・経験豊富な者が筆頭フットマン(First Footman)として執事や副執事を補佐し、2番手以降のフットマンを指導しました。
筆頭フットマンは場合によっては主人から直接「下僕頭(Head Footman)」として待遇され、後に他家で執事に抜擢されることもありました。一方、最下位の新人フットマンや年少の小姓はホール・ボーイ(Hall Boy)などと呼ばれ、使用人ホールの雑用や靴磨き、屋敷の掃除・使い走りを担いました。若いフットマン達は上役から厳しく躾けられながら経験を積み、後年には執事への昇進を期待されたのです。
・メイド(下働き女中、Housemaids)
屋敷内の掃除や整頓を担当する女性使用人で、人数も多く使用人層の大部分を占めました。メイドたちは各階や部屋ごとに分担して掃除・洗濯・ベッドメイク等を行い、屋敷を常に清潔に保ちます。早朝5~6時には起床し、主人一家が起きる前に居間の暖炉を焚き、階段や廊下を掃き磨きしました。日中も客間や寝室の埃払い・シーツ交換・室内清掃に奔走し、主人一家に姿を見せないよう細心の注意を払いました。ヴィクトリア朝の名門では「決して主人の目に触れないこと」が女中の掟で、例えばクルー侯爵家では「礼拝堂以外で女中が館内に姿を見せること禁ず」との規則もあったほどです。
メイドにも階級があり、最上位は主任メイド(Head Housemaid)または上級メイドと呼ばれ、家政婦長の下で他のメイドを取りまとめました。その下に経験年長の二等メイド、さらに見習いの下級メイド(Under Housemaid)が続きます。大邸宅では部門別にメイドが割り当てられ、客間専属のパーラーメイド(Parlour Maid)は主人一家の私室や応接間の給仕・掃除を受け持ちました。
一方、寝室や階段廊下を担当する部屋付きメイド、雑用専門の下働きメイドなど細かな役割分担がありました。下級メイドの中には10代前半で奉公に上がった娘もおり、彼女たちは年長のメイドや家政婦長から家事の手ほどきを受けながら技能を身につけていきました。
・乳母・子供部屋付きの使用人(Nursemaid/Nanny 等)
幼い子供のいる家庭では、乳母(ナー二ー)や子供部屋メイド(ナースメイド)が雇われました。乳母は乳児の世話や授乳を受け持ち、母親に代わって育児全般を引き受けます。当時、貴族の母親が自ら授乳するか乳母に任せるかは意見が分かれましたが(母乳で育てた方がよいとの風潮も一部にありつつ、出産後すぐ妊娠可能にするため乳母に任せる習慣も根強くありました)、いずれにせよ乳幼児の生活管理は乳母が担いました。乳母は主人の妻(母親)の指示下にあり、子供が成長して乳母を卒業すると今度はガヴァネス(教育係、Governess)に引き継がれます。ガヴァネスは後述の「使用人ではない従業員」の部類ですが、中流以上の家庭では子供の家庭教師として常駐し、しつけや初等教育を担当しました。
厨房メイド(Kitchen Maid)・下働き厨房人 – 料理長の補佐として厨房で働く使用人です。料理規模の大きな館では複数名の厨房メイドがいて、食材の下ごしらえ専門やソース担当、製菓パン焼き担当など役割が細分化されました。なかでもシュガーボイラー(菓子製造係)やソースメイドは高度な技能を要しました。また乳製品室係(Dairymaid)がおり、バターやクリーム、チーズなどを自家製造して屋敷に供給することもありました。
キッチンの最下層には13歳前後で奉公に出た台所女中(Scullery Maid, いわゆる皿洗い女中)がおり、早朝から炉に火を起こし大鍋でお湯を沸かし、調理器具や食器を洗浄・磨く重労働を担いました。生ごみ処理や床のこびりついた汚れ落とし、竈(かまど)の煤払い、動物の解体や魚のウロコ取りまで、誰もが嫌がる最も過酷な雑役を一手に引き受けたのがスカラリー・メイドです。彼女たちは主に他の使用人たちのために働く存在で、主人から声をかけられることは滅多にありませんでした。しかし懸命に働き続ければやがて厨房メイドからコック見習いへと昇格し、最終的に料理長にまで上り詰める道も開けました。
・御者(コーチマン)と厩務員(グルーム)
屋外部門の使用人として、馬車で主人一家を送迎する御者や、馬や車両の世話をする厩務員も館に欠かせない存在でした。大邸宅では複数台の馬車(ランドー、ブローアム、パイヒートンなど)が所有され、遠出用・街乗り用・狩猟用など用途に応じて使い分けられました。御者は馬車の運転だけでなく馬具や車体の整備も監督し、常に馬車を最高の状態に保ちました。厩務員(きゅうむいん)は馬の餌やり、水やり、ブラッシングや厩舎掃除といった馬匹の日常管理を担当し、数名の馬丁(Stable Boys)を従えて複数頭の馬を世話しました。馬はデリケートで手間がかかるため、厩舎は屋敷本館から離れた場所に設けられ、そこだけで独立した世界(男の仕事場)が形成されていました。御者や庭師頭など屋外使用人は基本的に執事や家政婦長の管轄外で、主人に直接仕える別働の職人集団といえます。
以上のように、ヴィクトリア朝の館では使用人それぞれが専門職能を持ち、組織的に分担協力して主人一家の暮らしを支えていました。
階級間の上下関係と指揮命令系統

使用人階級の世界では、厳格な身分の序列が日常の隅々にまで及んでいました。基本的な指揮系統は「執事(または家令)が男性使用人を統括し、家政婦長が女性使用人を統括する」という形で、執事と家政婦長はそれぞれ主人(夫)・主人夫人(妻)から直接に指示を仰ぎ、自分の管轄下の使用人に命令を下しました。家政婦長の配下には前述の通り料理長がおり、料理長はさらに厨房メイドや下働きたちを指揮します。同様に、執事の配下にはフットマンや従者(Valet)たち男性使用人が属しました。乳母や子供部屋付きメイドは主人夫人の管轄でしたが、教育係ガヴァネスなどとともに半ば独立した存在でもありました。また御者や庭師長など屋外スタッフは執事の統制を離れ、直接主人に仕えることも多かったようです。
館の中では上役の命令は絶対であり、年少の下級使用人は「使用人階級内の誰からも使い走りにされるが、ただし主人だけは例外」という状況でした。若い新米使用人はあらゆる先輩から指示を受け、小言を言われ、ときに厳しく叱責されながら仕事を覚えていきました。その一方で、上級使用人同士の間にも微妙な主導権争いが存在しました。例えば執事と家政婦長はほぼ同格とはいえ、伝統的に執事のほうがわずかに高い地位と見なされることもあり、待遇面でも執事の年俸は家政婦長より高額でした(1870年代のある例では執事73ポンドに対し家政婦長42ポンド)。また男女間の賃金格差や序列意識も存在し、従者(主人付きの男性従僕)は年52ポンドほどでしたが、同等の仕事をする侍女は25ポンド程度しか支払われなかった記録があります。
使用人間の作法も階級によって異なりました。上級使用人(執事・家政婦長・料理長・侍従など)は姓や敬称で呼ばれ、執事は「カースン氏(Mr. Carson)」のように姓で呼称されました。家政婦長も未婚でも「~夫人(Mrs. ~)」と尊称され、他の使用人から一目置かれる存在です。一方、フットマンやメイドなど下級使用人はファーストネーム(洗礼名)で呼ばれるのが普通でした。主人から見ても、執事や家政婦長には多少の敬意を込めて接しますが、下働きの者には必要最低限の指示しかしないなど、扱いに差がありました。
また、使用人食堂での席次や給仕順にも序列が反映されました。大邸宅の使用人ホールでは、執事がテーブル上座の中央、右隣に筆頭フットマンもしくは副執事、左隣に侍女長(レディースメイド)や家政婦長が座るなど定位置が決まっていました。全員が執事と家政婦長を待って着席し、料理は執事が肉料理を取り分け、家政婦長が野菜料理を配膳し、上席者から順に皿が渡されていき、一番年若い使用人は最後に料理にありつくという徹底ぶりでした。食後、上級使用人たちは執事室や家政婦控え室に退いてデザートやお茶を楽しみ、その間下級使用人たちは束の間のお喋りを許される、といった慣習も一般的でした。このような時間でさえ呼び出しのベルが鳴れば即座に持ち場に戻らねばならず、使用人には実質的に休息時間というものがほとんどありませんでした。
使用人の採用・教育・昇進ルート

ヴィクトリア朝当時、使用人になることは農村や労働者階級の若者にとって安定した職と衣食住を得る手段でした。事実、19世紀半ばの英国では使用人は100万人以上おり、農業労働者に次ぐ大就業人口を抱える一大職業層でした。特に女性にとって住み込み女中の職は、資格や資本がなくても自立できる数少ない道でした。下層階級の娘たちは親元を離れ名家に奉公することで親の負担を減らし、都市での自由と将来の機会を求めてもいました。
採用はコネか口利き、あるいは主人筋の紹介で決まることが多く、領主同士が「○○家で使える有能なフットマンがおれば我が家で執事に迎えたい」と人材を融通し合うケースもありました。また有望な使用人には主人が親戚知己の屋敷を紹介して昇進の場を与えることもありました。使用人たちは生涯に渡り同じ家に仕えることも少なくなく、一家で「ボーイから老人になるまで」勤め上げる例も珍しくありませんでした。例えばノーサンバーランド州クラグサイドのある召使いは、10歳で足丁(フットボーイ)として奉公に上がり、1943年に執事として引退するまで60年以上同じ家系に仕え続けたと記録されています。
教育訓練は主に現場での徒弟修業でした。新米の使用人は先輩から仕事の手順やマナーを叩き込まれ、一人前になるまで長年の経験が必要でした。専門的な指南書も出回り、19世紀には『フットマン心得』や『執事必携』といったハウツー本も出版されましたが、結局のところ老練な上役の背を見て学ぶのが唯一の道だったようです。使用人同士のネットワークも存在し、「○○家の元執事」を筆頭に経験者が互いに情報交換をしたり、新しい奉公先を紹介し合ったりしました。
昇進ルートはある程度定型化されていました。男性の場合、少年時代に下働きのホール・ボーイ(Hall Boy)や下僕見習いとして雇われ、成長するとフットマンとなります。フットマンとして経験を積み、一番手の筆頭フットマンに昇格すればやがて他家で執事の口がかかる、というのが理想的なキャリアでした。実際、優秀なフットマンは30代で小規模な館の執事として迎えられることも多く、20年以上を執事として勤め上げる者もいました。
女性の場合、13~15歳で皿洗い女中(Scullery Maid)や下級メイドから奉公を始め、数年で上級メイドに昇格、やがて腕が認められれば侍女(主人の身の回り係)や他家の家政婦長に抜擢されるという道がありました。厨房付きの娘であれば厨房メイドからコック(料理人)見習いとなり、最終的に自分で厨房を任される料理長になることも可能でした。例えばある公爵家の記録では、12歳で年5ポンドのスカラリー・メイドだった少女が、何十年もの奉公の末に年60ポンドもの給金を得る料理長にまで登りつめた例があります。
このように使用人には明確なキャリアパスが用意されており、序列に伴う窮屈さはあるものの将来の地位向上という希望も与えられていました。六代バース侯爵は自身の少年時代(1900年代初頭)を振り返り「昔は使用人奉公に上がった者は、小姓・従僕から執事助手や家令にまで昇格していったものだ」と述懐しています。現に、長年仕えて家令や執事にまで上りつめた使用人は主人一家からも一目置かれ、引退後に年金や屋敷内の住居を与えられるなど手厚く報いられることもありました。
経済面を見ると、使用人の給与自体は決して高くありませんでしたが、住居と食事が無料支給されたため出費はほとんど無く、貯金も可能でした。たとえばある使用人は15歳で年8ポンドの給金でしたが、衣食住の大半が賄われたおかげでその全額を実家の母に仕送りできたといいます。また主人からクリスマスに5ポンドの祝儀をもらったり、休暇中は在宅手当(Board Wages)として食費補助金が支給されたりといった特典もありました。大邸宅では余ったご馳走の菓子や果物、アイスクリームが使用人に振る舞われることもあり、恵まれない環境から来た若者にとっては夢のような「快適な家」だったという証言も残っています。
大邸宅における使用人構成の実例

ヴィクトリア朝時代の大邸宅がどの程度の使用人を抱えていたか、その一例を見てみましょう。当時の平均的な貴族の館では20~30人前後の使用人が常勤していたと言われますが、規模や家格によって大きく異なりました。著名なカントリーハウスの例として、デヴォンシャー公爵家の本邸チャッツワース・ハウス(Chatsworth House)では19世紀後半、館に住み込みの使用人だけで約38~39名を数えました。その内訳は執事、下副執事、控えの間係(グルーム・オブ・ザ・チェンバー)、従者(ヴァレット)、フットマン3名、家政婦長、公爵夫人付きメイド、ハウスメイド(部屋係女中)11名、仕立て裁縫係2名、料理長、台所メイド2名、野菜係メイド1名、食卓係メイド(スティルルーム・メイド)2~3名、酪農係メイド1名、洗濯女中6名、公爵夫人付き秘書1名でした。この38~39名が屋敷内に常駐し、さらに日々の出入り使用人として雑用係、椅子張り職人、洗い場係、掃除婦、洗濯運搬係、ボイラー焚き付け係、石炭当番、門番、夜警など十数名が働いていました。これに厩舎の御者や馬丁、車の運転手、狩猟場の猟場番、果ては80人以上もの庭師団まで含めると、その数はとてつもないものになります。
一方、現在テレビドラマ『ダウントン・アビー』の舞台として知られるハイクレア城(Highclere Castle, カーナーヴォン伯爵家)では、1851年時点で22名の使用人が仕えていました。この年は当時19歳の第4代カーナーヴォン伯爵が母親(先代伯爵夫人)と共に滞在しており、妹弟や親族も来客として滞在していましたが、それでも22名で屋敷を切り盛りできていたことが英国国勢調査に記録されています。ただしこの数字は伯爵一家が不在の場合など「臨時に減員された人数」である可能性もあります。実際、19世紀の国勢調査票を見ると、家族不在時には最低限の留守番要員しか屋敷におらず、巨大な館なのに使用人が数名しか記録されていないケースもあります。そのため公的記録上の数字は必ずしも常時のフルスタッフ数を反映しませんが、ハイクレア城の場合は当主一家が居住中で22名だったため、一つの目安と言えるでしょう。
更に大規模な例として、英国屈指の大貴族だった第5代ポートランド公爵の邸宅ウェルベック・アビー(Welbeck Abbey)では、1900年頃になんと320人ものスタッフが屋敷と広大な領地に配置されていました。その中には専属のワイン専任執事(wine butler)や野菜係メイド(vegetable maid)まで含まれていたといいます。また19世紀最大級の邸宅と言われるヨークシャーのウェントワース・ウッドハウス(Wentworth Woodhouse)では使用人が屋敷内だけで63名に及んだとの記録があります。
平均的な貴族のカントリーハウスでは25~40名程度という報告もあります。たとえばノーフォークのホルカム・ホールは19世紀を通じて25~30名の使用人を抱えており、チェシャーのタットン・パークでは約40名が仕えていました。チェシャーのタットン・パークではさらに庭師24名、農場や領地管理の作業員100名以上も雇用されており、1887年には当時の皇太子(のちのエドワード7世)夫妻を迎える華やかな社交行事も開催されています。シュラブランド・ホール(サフォーク州)やイートン・ホール(チェシャー州、第1代ウェストミンスター公爵家)なども100名単位の召使いと庭師団を擁し、1820年代のシュグバラ・ホール(スタッフォードシャー、リッチフィールド伯爵家)では107名の使用人が仕えていたという記録があります。このように、大邸宅では使用人こそ屋敷の主たる住人であり、所有者一族より圧倒的に数が多いこともしばしばでした。
屋敷の規模や財政状況に応じて使用人の構成は様々でしたが、「収入に比例して召使いの数が決まる」のが当時の常識でした。裕福な家ほど多数の召使いを抱えることができ、中流階級でも見栄のため無理をして2~3人の使用人を置く場合がありました。一方で、地方地主(スクワイア)レベルの邸宅では十数名程度、下級中産階級の家ではせいぜい一人の何でも屋メイド(Maid-of-all-work)を雇うくらいで、召使いがゼロの家は「紳士階級」と見なされない風潮さえあったのです。
ヴィクトリア朝の使用人文化と社会階級
19世紀ヴィクトリア朝の繁栄は、このような大勢の使用人たちに支えられていました。使用人制度は当時の厳格な身分社会の一部であり、その存在は雇用主である貴族・紳士階級の威信を示すものでもありました。「召使いがいなければ朝が来たかどうかわからないじゃないか」という劇作家バリー(『ピーター・パン』作者)の言葉が示すように、上流階級の暮らしは使用人抜きには成り立たないほど日常に浸透していたのです。
使用人たちは自身もまた一種の階層を形成していました。特に貴族の館に仕える使用人たちは、町の小規模な家に雇われた「万事屋メイド」などに比べて恵まれた待遇と誇りを持っていました。彼らは「ジェントルマン/レディの召使い(Gentleman’s service)」として知られ、他の仕事に比べ賃金や住環境、食事が良かっただけでなく、主人からチップや贈答品を受け取る機会も多かったのです。実際、大邸宅の使用人部屋は食事やダンス、ゲームが行われる社交の場でもあり、そこで将来の配偶者を見つける者もいました。田舎の孤独な農場で働くより、館の「使用人仲間」の一員となることで得られる連帯感や誇りは、召使いという職業の大きな魅力だったのです。
一方で、使用人たちは日常的に厳しい規律とプライバシーの無さに耐えなければなりませんでした。勤務時間は早朝から深夜に及び、休みは月に1日あるかないか。女性使用人は自前の制服を仕立てねばならず(一方で男性使用人の制服は雇用主から支給されました)、さらに結婚も禁じられる例が多く(既婚になると解雇されるか夫婦で雇われない限り続けられない)、一生を独身で終える女性使用人も珍しくありませんでした。恋愛や結婚は禁止されてはいないものの、上級使用人同士で許される程度で、身分違いの恋は固く戒められました。しかしそれでも密かな交際は存在し、実際に使用人ホールで開かれたダンスパーティーでカーテンの陰に隠れて逢瀬を楽しんだメイドとフットマンが妊娠事件を起こしたというような逸話も残っています。
また、主人と使用人の関係も様々でした。横暴で高圧的な主人もいれば、使用人を家族同然に気遣う主人もいました。ある公爵夫人は屋敷で働くメイドの結婚式を全額負担して取り仕切ったり、別の貴婦人は病気になったメイドを看病し医療費を出してやったという記録もあります。多くの名門では長年仕えた老使用人に年金や屋敷内住居を与える伝統があり、引退後もその家に守られて余生を過ごす者もいました。とはいえ、やはりその恩恵は一部に過ぎず、「屋敷が立派に機能するのも貴族が華やかな社交を楽しめるのも、影で働く我々召使いたちのおかげだ」と元メイドが述懐するように、重労働の果実の多くは主人側にこそあったのも事実です。
ヴィクトリア朝の使用人制度は、その後の社会変化により徐々に姿を消していく運命にありました。第一次大戦後は工場や事務職など他産業の台頭で召使い志望者が激減し、多くの家で使用人の数を減らさざるを得なくなりました。実際、1911年頃を境にそれまで増加の一途だった使用人数は初めて減少に転じています。戦間期には旧来の大家族制や大邸宅そのものが没落・解体し、第二次大戦を経てイギリスの使用人文化は大きく縮小しました。現在では英国王室や一部の大富豪を除き、ヴィクトリア朝当時のような大規模な家内召使い団を抱える家は存在しません。
消滅した職制と現代への継承
1以上のようなヴィクトリア朝時代の使用人階級制度は、20世紀に入り社会構造が変化するとともに急速に縮小し、多くの職名や習慣は歴史上のものとなりました。第一次大戦後には「使用人をたくさん抱える暮らし」は時代遅れとなり、多くの若者が定時で休みもある工場労働や事務職に流れたため、召使い志望者は激減しました。その結果、1920年代には地方の地主ですら使用人の確保に苦労し、かつてのようなフットマン数人・メイド十数人という体制を維持できる家は稀になりました。第二次大戦後はほとんどの家屋で女中部屋が廃止され、電気掃除機や電化製品の普及によって一家に一人の掃除婦がいれば足りる時代へと移行しました。
特に**「パーラーメイド」や「下級メイド(アンダーハウスメイド)」といった役職名は現代では歴史用語となっています。パーラーメイドは上述のように主人の客間サービスを担った女性使用人ですが、20世紀中頃までに消滅しました。「ホール・ボーイ」(坊や給仕)や「ランプ係」**など少年使用人の職も同様です。フットマンも現在では王室や一部の官邸で儀礼的に置かれる程度で、民間でフットマンを常雇いする家庭はほぼ存在しません。**執事(バトラー)**の称号はかろうじて現代に残っていますが、その役割は家政全般のマネージャー(Household Manager)のような位置付けに変化しつつあります。現代の執事は必ずしも給仕だけでなく、運転手や警備、執務補助など多面的な業務をこなし、専門学校で訓練を受けたプロフェッショナル職として再定義されています。一方、家政婦(Housekeeper)という言葉も現在では単に掃除や家事代行の職業を指すのが一般的で、ヴィクトリア朝の「家政婦長」のように多数のメイドを率いる立場ではありません。
また侍女(レディーズメイド)や従者(ヴァレット)といった主人付きの従僕も、現代ではほとんど見られなくなりました。ごく一部の富豪や王室メンバーがパーソナルアシスタントとしてプライベート秘書やスタイリストを雇う例はありますが、それはもはや伝統的な召使いというよりビジネスライクな雇用関係です。かつてのような主従の濃密な結びつきは、現代社会ではプライバシーや人権意識の高まりもあって成立しにくくなっています。
さらに、「スティルルーム・メイド」(薬草茶・保存食係)や「乳母付き女中」など特殊な職も今では存在しません。それらの役割は電気冷蔵庫や医療制度、保育サービスなどに取って代わられました。「家令(ハウススチュワード)」という呼称も現代の家庭では聞かれず、不動産管理者(Estate Manager)や執事がその職責を肩代わりしています。
このように、ヴィクトリア朝の使用人階級制度は社会の変革と技術革新の中でその姿を大きく変えました。現在では当時の用語や慣習は主に歴史研究や文学作品の中で語られるのみですが、当時培われた執事道の精神やホスピタリティのノウハウは、現代の執事養成機関やサービス産業にも一部継承されています。日本においても近年「現代版バトラー」の需要が高まりつつありますが、ヴィクトリア朝期の厳格な主従関係とは異なる形でのサービス提供となっています。当協会では、こうした歴史的背景を正しく踏まえ、**「執事=主人に仕える誇り高き専門職」**という伝統を現代にふさわしい形で蘇らせるべく研鑽を積んでおります。
最後に、ヴィクトリア朝時代の使用人たちが残した足跡に敬意を表しつつ、現代の私たちも彼らの支えによって形作られた豊かな文化遺産を正しく理解し継承していきたいと思います。
参考文献・出典
Victorian-Information-Sheet, Tatton Park (ヴィクトリア朝期カントリーハウスの使用人階級に関する解説資料)
British Heritage, Servants’ lives below stairs(エドワーディアン期の大邸宅における使用人の役割と階級)
Who Do You Think You Are Magazine, The real Downton Abbey(英国カントリーハウスの使用人に関する歴史記事)
S&N Genealogy Supplies, In service – from simple house to palace(英国の国勢調査記録に基づくヴィクトリア朝の使用人数と階級分析)
日本バトラー&コンシェルジュ株式会社(執事の階級)
執事に関する解説一覧
01
執事基本知識
03
執事の服装
04
執事の現代
05
執事を目指す方
06
