フットマンとは

フットマンについて

上流家庭でのフットマンの位置づけ

従僕という男性使用人の役割

フットマン(従僕)とは、ヴィクトリア朝時代の英国貴族や富裕層の邸宅で給仕や雑務を担った男性の家事使用人である。語源は主人の馬車のそばを徒歩で伴走し護衛や先導を行った「ランニング・フットマン」に由来し、のちに屋敷内で主人に付き従い給仕する召使いの称号となった。ヴィクトリア朝期(1837–1901年)には、フットマンは豪邸の格式と富を示すステータスシンボルとなり、特に背が高く容姿端麗な者が好んで雇用された。フットマンを複数人抱えることは莫大な維持費を要する贅沢であり、その存在自体が雇用主の社会的地位を象徴したのである。

使用人階級における序列

ヴィクトリア朝の典型的な大邸宅では、使用人は明確なヒエラルキー(序列)を形成していた。フットマンの地位は執事(バトラー)に次ぐ下級男性使用人であり、下には下男(ホールボーイ)などが位置していた。執事は家令(ハウス・スチュワード)に次ぐ使用人長で、邸内の男性使用人全体(フットマンや従者、御者等)を統括する責任を負っていた。フットマンはこの執事の指揮下で働く従属的な職位であり、女性使用人を取り仕切る家政婦長(ハウスキーパー)とは別に、執事が直接管理するカテゴリに属していた。

フットマンの階級と執事との関係

一等フットマンと序列

ファースト・フットマンとセカンド・フットマン

大規模な屋敷では複数のフットマンが雇われ、その中で一等フットマン(First Footman)と二等フットマン(Second Footman)といった序列が存在した。最上位の一等フットマンはフットマンたちの主任格であり、執事不在時には代理を務めることもあった。執事の指示のもとで一等フットマンが下位のフットマンに日々の業務を割り振り、来客時や食事の席では主導的に配膳・給仕に当たった。屋敷によっては執事と下僕の中間に副執事(アンダー・バトラー)を置く例もあったが、一等フットマンが実質的に副執事の役割を果たすことが多かった。なお、経験の浅い二等フットマン以下の従僕は、一等フットマンや執事の指示の下で補助業務に従事し、徐々に礼儀作法や給仕の手順を学んでいった。

執事の指揮下における従僕

執事とフットマンの上下関係

伝統的な英国貴族の館において、執事は「家の顔」として主人に代わり使用人団を統括し、フットマンは「家の動作」として執事の指示通りに動く存在であった。執事は来客対応や家全体の管理を担う最高位の使用人であり、フットマンたちは執事を補佐して実務をこなす下位職である。つまり執事が全使用人を俯瞰して采配を振るう指揮官だとすれば、フットマンはその命を受けて給仕や雑務を実行する実働部隊であった。執事は男性使用人の人事権も握り、フットマンの雇用・解雇や日々の勤務態度に責任を負った。

執事とフットマンの関係は主従が明確であり、フットマンは日常業務から礼儀作法に至るまで執事の定める厳格な基準に従った。執事は食卓での振る舞いや来客時の所作についてフットマンを監督し、あらゆる場面で主人の名誉に恥じない完璧なサービスが提供されるよう指導したのである。例えば執事は、給仕の際の歩き方・盆の持ち方・声のトーンに至る細部までフットマンに教え込み、主人や来客の前で過失のないよう目を光らせていた。また大邸宅では執事がワイン管理や貴重品の保管といった要務に専念できるよう、日常的な給仕実務は全てフットマンに任されるのが常であった。フットマンはこのような執事の下積みを経て経験を積み、ゆくゆくはヘッド・フットマン(一等従僕)や執事へと昇進するキャリアパスも開かれていた。

フットマンの具体的な職務内容

来客対応と給仕

玄関口での応対と随行

フットマンの重要な任務の一つが、邸宅を訪れる来客への対応であった。フットマンは主人一家に来客があれば玄関扉を開けて出迎え、コートや帽子を受け取り、室内への案内を行った。必要に応じて主人や奥方に来訪を取り次ぎ、来客を客間へ誘導するのもフットマンの役目である。来客を迎える際には常に姿勢正しく威厳を保ち、言葉遣いは丁重で控えめにしなくてはならなかった。屋敷によっては来客の氏名や身分を客間で正式にアナウンスする「アナウンスメント」の役割もフットマンが担い、発声や所作に細心の注意を払った。

またフットマンは主人一家が外出する際の随行員としても働いた。馬車で外出する際には御者とともに辻席(コーチの後部足台)に同乗し、目的地で俊敏に馬車から飛び降りてドアを開け、主人を安全に送り迎えした。18〜19世紀には街道の治安が十分でなかったため、歴史的にはフットマンが護衛として拳銃の扱いを身につけ、追いはぎ(ハイウェイマン)から主人を守る役割を果たすこともあった。ヴィクトリア朝後期になると街灯の整備や警察力の向上で護衛の必要性は薄れたが、それでも主人やご婦人に付き添って買い物に出たり社交訪問に同行したりと、公の場で主人に恥をかかせぬよう立ち居振る舞いで補佐するのがフットマンの務めであった。

食事の配膳・給仕

大邸宅における正式な食事の場では、フットマンは給仕係として欠かせない存在であった。朝食から晩餐に至るまで、食卓の準備(食器やリネンのセット)や料理の配膳、給仕サービスをフットマンが担当した。複数のフットマンがいる場合、上席のフットマンが主人の背後につき主菜など主要な料理を給仕し、下席のフットマンが副菜や付け合わせのサービスを行うなど役割分担があった。主人や来客に対して飲み物を注ぐのもフットマンの役目であり、タイミングを計ってグラスを満たし、テーブル全体に目配りして不足や要望に即座に対応した。

給仕中の所作には厳格な作法が定められており、例えば料理や飲み物は必ず盆(ウェイター)に載せて左手で持ち、客の左側から差し出すのが原則であった。皿を下げる際には両手で静かに持ち上げ、テーブルクロスや客の衣服に一滴たりともこぼさない慎重さが求められた。複数の客に給仕する際も一人ひとりに均等に注意を払いながら、決して出過ぎた振る舞いにならないよう心がける必要があった。主人が乾杯の順番を飛ばしたり他の客が非礼を働いても、決して使用人の立場から口を挟んだり訂正したりしてはならないという倫理も徹底されていた。このように高度に洗練された給仕の所作を身につけることで、フットマンは主人の食卓が円滑かつ格調高く進行するよう陰で支えたのである。

日常業務と雑用

フットマンの職務には、華やかな接客・給仕ばかりでなく屋敷内の様々な雑務も含まれていた。特に一人しかフットマンを置かないような場合、その従僕はあらゆる「使い走り」に酷使されたと言われる。日の出前に起床して靴磨きやナイフ磨き、使用人用ランプの手入れなどの力仕事や汚れ仕事を家人が起きる前に済ませておくことが期待された。主人の衣服をブラシがけし、家具のほこりを布で擦って艶を出すなど、日々の清掃と維持にも従事した。こうした雑務を終えた後は作業着からきれいな制服に着替え、朝食の給仕に臨んだという。

日中もフットマンは屋敷内外の様々な用事に駆り出された。主人の伝言や手紙を届ける使い走り(お遣い)や、小包の受け取り、館の必要品の買い出しなど、執事から命じられた雑用を機敏にこなした。また郵便馬車や鉄道駅まで主人に同行して手荷物を運搬したり、旅行の際に荷物係兼従者として随行することもあった。屋敷の呼び鈴(ベル)が鳴れば即座に対応し、主人や来客からの呼び出しに応じて紅茶の用意や暖炉の火加減調整など細かな注文にも対応した。複数のフットマンがいれば昼夜交代で当直に就き、いつでも主人の求めに応じられるよう待機する体制が整えられた。このようにフットマンは、主人一家の生活が滞りなく回るよう裏方として奔走する万能スタッフでもあった。

フットマンの身だしなみと制服

華やかなリヴリーと外見規定

制服の特徴と白手袋

ヴィクトリア朝時代、フットマンは主人から支給されるリヴリー(揃いの制服)を着用する決まりであった。その制服は雇い主の家紋やテーマカラーがあしらわれ、金ボタンや山型飾りなど装飾的な意匠を凝らした華やかなものであった。伝統的な正装では膝下丈のキュロット(半ズボン)に白の絹製ストッキングを合わせ、足の形の美しさが強調されるようになっていた。19世紀前半までは白粉で髪を真っ白に固めたかつらを着用する旧習もあったが、ヴィクトリア朝後期には多くの屋敷で廃れていき、代わりに自髪をきちんと短髪に整える清潔感が重視されるようになった。燕尾服型の上着や絹ベストなど制服の様式は時代とともに変化したが、一貫して「主人の格式を映す鏡」として絢爛さと品位を兼ね備えた装いが求められた。

給仕の場面ではフットマンは白い綿製の手袋を着用するのが礼儀であった。指紋を銀器に残さず衛生を保つとともに、雪のように白い手袋は使用人の清廉さを象徴するものでもあった。主人にグラスを手渡す際や料理の大皿を運ぶ際にも白手袋着用が原則であり、その清潔さにも常に気を配った。制服は夏冬で素材を替え、夏季には通気性の良い麻やアルパカ地の白い上着に着替えるなど季節に応じた工夫も見られた。いずれの場合も、フットマンの身だしなみは「常に清潔端正であること」「主人より目立ちすぎないこと」が鉄則であり、わずかな乱れも執事によって厳しく指摘された。

身長制限と容姿の条件

フットマン採用では外見的な条件が重視された。19世紀当時、広告を出して職を求める従僕たちは自らの身長を明記し、雇用主は対になるフットマン同士の身長を揃えて雇うのが理想とされたという。背の高い男性ほど見栄えが良いため需要が高く、実際の給与にも差がつけられた。例えば19世紀後半の英国では、一等フットマンで身長5フィート6インチ(約168cm)程度なら年俸30ポンド、5フィート10インチ(約178cm)以上であれば32〜40ポンド支払われるなど、身長によって給料が違った記録がある。平均身長が今より低かった当時に6フィート近い長身は非常に目を引く存在であり、主人たちは競って「見映えのする」長身フットマンを揃えた。そのため使用人税(後述)を支払ってでも複数の長身従僕を揃える家もあり、なかには左右対称に背格好の似た従僕に揃いの衣装を着せ、「動く家の装飾品」として社交の場に伴わせる例もあった。このような風潮に対し、家政の専門家ビートン夫人は「ご婦人方がフットマンを雇う際に背丈と体格、ふくらはぎの形つきだけで判断するのは嘆かわしい」と批判したが、それでもなお脚線美を強調する半ズボンと絹靴下の制服スタイルは19世紀末まで貫かれたのである。

採用基準・教育とプロトコールの遵守

フットマンの採用条件

人格と適性

ヴィクトリア朝当時、格式ある家に仕えるフットマンの採用にあたっては、外見のみならず人格や適性も考慮された。基本的にフットマンには独身であることが求められ、家庭を持たない若い男性が望ましいとされた。これは妻帯者だと主人の用務より家庭を優先する恐れがあるためで、実際に結婚していたフットマンがその事実を隠して週一度だけ家族に会いに行ったという記録も残っている。加えて誠実で従順な気質、忍耐強さや几帳面さ、機転の良さなどが理想的な資質とされた。主人の機密を守れる口の堅さや、高価な銀食器を丁寧に扱える慎重さも求められ、盗難や不品行の前歴がないことは最低条件であった。推薦状や前職の主人からの紹介がない者は、富裕層の使用人にはなかなか採用されなかった。

教育と訓練

当時、使用人になるための正式な学校や資格制度は存在せず、フットマン志望者はまず下級使用人として働きながら実地で技能を身につけるのが一般的であった。多くの青年は10代半ばで下男(ハウスボーイ)や給仕見習いとして大邸宅に奉公に上がり、掃除や靴磨きなど雑役をこなしつつ上役のフットマンや執事からマナーや所作を学んだ。十分な働きぶりと礼儀作法を身につけるとフットマンに昇格し、以後は実務をこなしながら更なる教育を受ける。大邸宅では執事が師範役となり、日々の業務を通じて部下のフットマンに所作・作法を叩き込んだ。給仕のタイミングや盆の持ち方といった技術面はもちろん、主人に対する忠誠や職業倫理も含めて教育され、使用人としての誇りと矜持を植え付けられた。19世紀当時、熟練した一等フットマンまで務め上げた者のみが晴れて執事職への昇進候補とみなされたのである。

プロトコール(礼儀作法)の厳守

宮廷さながらの作法

フットマンは主人一家や来客に接する機会が多いため、プロトコール(宮廷の礼儀作法)を完璧に遵守することが期待された。貴族社会には細かな礼式が存在し、使用人にもそれに則った所作が求められたのである。例えば来客を案内するときは主人の家名とお客様の名前を正しく伝える話法、食卓では主人からゲストへの給仕の順序(身分の高い来客から順にサーブする)など、暗黙の決まりが数多くあった。フットマンはそれらを熟知し、状況に応じて正しい立ち位置・姿勢で控える必要があった。些細な所作の違いが主人の面目に関わるため、決められた手順から勝手に逸脱することは許されなかった。

またフットマン同士や他の使用人との連携プレーにもプロトコールが存在した。複数の給仕人がいる晩餐では誰が皿を下げ、誰がワインを注ぐかまで役割が固定されており、各自が自分の役割に専念することで無駄のないサービスを実現した。万一アクシデントが起きた場合も、下位のフットマンは即座に執事や上位のフットマンに知らせ、決して自己判断で行動しないのが原則であった。主人の前で使用人同士が口論するなど言語道断であり、内々の問題は執事を通じて対処された。フットマンはこのような厳格な作法と報告連絡のルールを順守することで、主人の信頼に応え自らの評価を高めていったのである。なおヴィクトリア朝当時は使用人に対する罰則規定も存在し、失態を犯したフットマンは減給・降格のみならず即時解雇されることも珍しくなかった。

社会的評価とヴィクトリア朝文化におけるフットマン

ステータスシンボルとしての従僕

富と誇示の対象

フットマンは実務以上に「富の飾り」としての側面が強かった。産業革命期のイギリスでは裕福な家ほど多くの男性使用人を抱え、なかでも揃いの制服を着たフットマンは屋敷の威信を体現する存在であった。フットマンは料理人やメイドのように家政上不可欠な人員ではなく贅沢品の一種ともみなされ、19世紀には政府が使用人税を課してその雇用を抑制しようとしたほどである。実際、男の従僕には女中の数倍もの給金を支払う必要があり、さらに18世紀末以降は一人当たり年£1〜3程度の人頭税が科せられていた。それでもなお名門貴族の中には多数のフットマンを雇い続け、客人を迎える際にずらりと従僕を控えさせて家格を誇示することが行われた。例えば18世紀末の北umberland公爵夫人は9名の背の高いフットマンを左右対称に従えた籠舁き(セダンチェア)で社交界に現れた記録があり、19世紀ヴィクトリア朝においても同様の慣習が受け継がれていた。

こうしたフットマンへの社会的評価は雇用主階級の内側と外側で温度差があった。使用人を多数抱えることが当主の義務でもあった当時、紳士淑女たちは優秀なフットマンを持つことに誇りを感じた一方、市民階級や風刺作家からは「着飾った従僕を従える虚飾」と批判されることもあった。ビートン夫人は著書で「多くのご婦人がフットマンの容姿ばかり気にかけているが、人格と忠誠こそ重んじるべきだ」と苦言を呈し、ジョナサン・スウィフトの風刺エッセイ『使用人の心得』(1745年刊)ではフットマンたちの怠惰なサボタージュ術が滑稽に描かれている。このようにフットマンという存在は当時の階級社会を象徴する存在として、賞賛と皮肉の両面から語られたのである。

文学や美術における描写

ヴィクトリア朝時代の作品に見るフットマン

フットマンは当時の文学作品や絵画にもしばしば登場した。もっとも主人公になることは稀で、多くは富裕な家の場面設定の中で脇役として描かれている。例えばチャールズ・ディケンズやウィリアム・サッカレーの小説には、豪邸の玄関先に威風堂々と佇むフットマンたちが背景として登場し、登場人物の富裕さを示す役割を果たしている。ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』(1865年)には、ハートの女王の家来である魚のフットマンとカエルのフットマンが登場し、トランプの女王の手紙を公爵夫人に届けるコミカルな場面が描かれている。このように子供向けのファンタジーにさえフットマンが登場するのは、当時の読者にとって従僕が日常風景の一部として馴染み深い存在であったことの表れと言えよう。

美術の分野でも、ヴィクトリア朝の風俗画や肖像画にフットマンが描かれる例が見られる。貴族のサロンを舞台にした絵画では、絢爛たる制服に身を包んだフットマンが給仕をしている姿が脇役ながらしっかりと描き込まれていることが多い。また当時の写真にも主人とともに写る従僕の姿が残されており、19世紀後半の英国王室の公式行事の写真では、スカーレット(深紅色)の宮廷服に金の飾緒を付けた王室フットマンの姿が確認できる。これら視覚資料からも、フットマンが当時いかに社会に定着した存在であり、また視覚的にも印象的な存在であったかが読み取れる。

他国(フランス・ドイツ・ロシア)における
フットマンとの比較

フランスの場合

メジャードムと従者

ヴィクトリア朝期のフランスにも英国の執事に相当するメジャードム(Majordome)やメートル・ドテル(Maître d’hôtel)が存在し、大邸宅で主人に仕える使用人階級があった。しかしフランスでは英国ほど使用人の制服が画一化・標準化されておらず、各家ごとに比較的自由な服装であった点が特徴的である。男性従者(ヴァレット)などは上質ではあるが派手すぎない平服に近い服装が多く、女性使用人に至っては黒いワンピースに白いエプロン程度の簡素な出で立ちであった。一方で貴族伝統のリヴレ(Livrée、従僕の制服)はフランスにも継承されており、特に宮廷や大貴族の館では華麗な装飾を施した従僕の制服が用いられた。ただしその様式は英国のように全国的に統一されたものではなく、あくまで各家の趣向に委ねられていた。総じてフランスでは、英国に比べ「制服化」よりも実用性や家ごとの伝統を重んじる傾向が強く、執事職に就く者も控えめなスーツ姿で主人を補佐するのが一般的であった。

ドイツ・ロシアの場合

宮廷文化と英仏からの影響

ドイツやロシアにおいても、19世紀の宮廷貴族社会には英国のフットマンに類似した役割の使用人が見られた。ドイツではハウスマヨル(Hausmajor、執事長)やカンマーディーナー(Kammerdiener、従者)といった呼称で主人付きの男性使用人がおり、その制服も時代により変化した。一般的な貴族邸では英国式の黒いスーツや燕尾服に銀ボタンをあしらった制服が用いられ、プロイセン王侯など宮廷の場では金ボタンや飾緒付きの豪華な宮廷制服(Hofuniform)が存在した。19世紀後半になると市民階級の台頭に伴い、ドイツでも英国式の簡素な黒礼装が執事・従僕の標準となっていったとされ、実際に当時の写真資料でも燕尾服姿の執事や従僕が確認できる。

ロシア帝国でも、ツァーリや貴族に仕えた家内奴僕(いわゆる農奴使用人)の中にフットマン的役割の者が存在した。19世紀半ばに農奴解放が行われるまでは、多くの貴族が自領の農民を邸宅付きの従僕として使用しており、彼らは主家独自の民族色豊かな制服を与えられて主人に付き従った。帝政ロシアの宮廷ではフランス宮廷の影響も受けて洗練された服装規定が整備されており、冬宮など王宮で働く従僕は煌びやかな刺繍と肩章を施した式典用リヴリーを着用した記録がある。19世紀末になるとロシア貴族の間でも洋装化が進み、執事や従僕はヨーロッパ風の燕尾服やモーニングコート姿で仕えるようになっていった。当時の写真(1879年撮影の皇太子附の執事など)にも西欧式の正装に身を包んだロシアの従僕が写っており、これはヴィクトリア朝英国の影響が広がっていたことを物語る。

まとめ

ヴィクトリア朝時代の英国におけるフットマンは、主人の身辺に仕えつつ邸宅の格式を体現する存在であった。執事の配下として給仕・接客・雑務に奔走し、その所作や制服の一つ一つが主人の社会的威信を映す鏡とされた。長身で端麗な若者が選び抜かれ、厳しい訓練の末に磨き上げた礼儀作法で主人一家の日常と社交を支えたのである。その姿は当時の文学や美術にも刻まれ、階級社会の象徴として賞賛と風刺の対象となった。

第一次大戦を経て大邸宅文化が衰退すると、フットマンという職種も急速に姿を消した。現代では英国王室など一部を除き伝統的な従僕を置く家はほとんどない。それでもフットマンたちが確立した高度なサービスの規範や誇りは、現在の執事や高級ホテルのバトラーサービスにも受け継がれている。ヴィクトリア朝フットマンの歴史をひもとくことは、上質なホスピタリティの原点を学ぶことにも通じるのである。

参考文献

執事に関する解説一覧

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