
執事(Butler)の主な役割と担当領域
ヴィクトリア朝時代の英国の大邸宅では、執事(バトラー)は使用人階級の最上位に位置する男性使用人であり、屋敷内の男性使用人全員を統括する長でした。執事の管轄範囲は主に屋敷の表舞台に関わる領域で、具体的には食卓の給仕、ワインセラー(酒蔵)の管理、そして邸宅内の食器室(パントリー)などが挙げられます。格式ある「グレートハウス(great house)」では、家事業務が部門ごとに分かれており、執事がダイニングルームと酒類管理を受け持ち、邸内の格式ある客間階(パーラーフロア)を取り仕切る一方、家政婦が館内全体の清掃と美観維持を担うという役割分担がなされていました。
執事の具体的な職務には多岐にわたる責任が伴いました。食事の給仕では朝食から晩餐に至るまで主人一家への配膳を統括し、特に夕食時にはテーブルセッティングや配膳の段取りを細心の注意を払って準備しました。執事は銀器・食器類の管理も重要な任務であり、高価な銀食器やガラス器が常に清潔で磨かれた状態で用意されるよう監督しました。ワインセラーの鍵は執事が個人的に管理し、食事に合わせて提供するワインの選択や在庫の監視も執事の職責でした。加えて、屋敷に複数の従者がいる場合は下級男性使用人(フットマンなど)の指揮も執事の役目です。大邸宅では複数のフットマンが給仕を補助しましたが、執事はそうした男性使用人を監督し、彼らの勤務態度や作法を指導しました。小規模な邸宅では執事自らがフットマンや従者の役割を兼ね、主人の従僕(ヴァレット)として身の回りの世話(衣服の手入れや身支度の補助)をすることもありました。
執事はまた玄関口の応対も務め、来客の出迎えや取次ぎも行いました。主人一家や来客が邸宅を訪れた際には、執事が扉を開けて丁重に迎え入れ、訪問カードを受け取って主人や奥方に取り次ぐのが常でした(大規模な家では「控えの間係(Groom of the Chambers)」という役職が来客対応を専任する例もあります)。さらに、行事の際など多数の使用人が必要な場合、臨時の召使いを雇ったり手配したりするのも執事の役割でした。このように執事は家内の総責任者として多忙を極め、主人一家の体面を支える重要な存在だったのです。
家政婦(Housekeeper)の主な役割と担当領域
家政婦は当時の大邸宅における女性使用人の長であり、屋敷内のあらゆる家事部門を監督する責任者でした。特に掃除、洗濯、リネン類の管理といった日常の家政全般を取り仕切り、複数のメイド(ハウスメイド)たちを指導・監督しました。ヴィクトリア朝の上流家庭では、家政婦は主人の妻である奥方の代理人として位置づけられ、主人不在時に屋敷を預かる「主婦代行」のような役割も果たしました。小間使いやメイドたちの勤務ぶりを常に見守り、不正や怠慢が無いよう目を光らせることも求められ、「自分自身の家庭を切り盛りするかのごとく」誠実さ・勤勉さ・注意深さを持って任務に当たるべきだとされています。
家政婦の管理下には居室の清掃維持から台所・食料庫の物資管理に至るまで多くの領域が含まれました。彼女は館内の清潔・衛生状態を保つ責任者であり、各部屋の家具調度の埃ひとつ見逃さない厳格さで、全使用人に清掃の手本を示しました。またリネン室と貯蔵室の鍵を預かり、シーツやテーブルクロス、タオル類の洗濯・修繕・補充を計画的に行いました。ヴィクトリア朝の慣習では、家政婦は腰に複数の鍵束を提げている姿で描写されることが多く、これは彼女が館内の様々な物品庫(食糧庫やリネン庫など)を管理する権限を象徴するものでした。実際、家政婦は必要に応じて食料品の買い付け(マーケティング)も行い、食材の保存・加工(果物や野菜の砂糖漬け・ピクルス作り等)を監督しました。特に家令や料理長が不在の場合、家政婦自ら市場に出向いて日々の食料調達を行い、場合によってはデザートや菓子作りなど高度な料理の分野で腕を振るうこともありました。
さらに、家政婦は出納係としての役割も担い、館の会計帳簿を管理しました。彼女は毎日の出費を細かく帳簿に記録し、定期的に主人もしくは奥方に収支報告を提出しました。交易業者から届く請求書を精査し、支払いの手続きを行うのも家政婦の仕事でした。このように財務管理の責任も大きかったため、家政婦には計算高く几帳面であることが求められています。家政婦は女性使用人の採用・解雇権も持ち合わせ、女中たちを雇い入れる際の面接や教育を受け持ちました。総じて家政婦は、女性ならではのきめ細やかさと信頼感をもって屋敷の内側を切り盛りし、執事とは対になる存在として家庭の維持に欠かせない役割を果たしたのです。
男女による役割分担の背景
ヴィクトリア朝における執事と家政婦の役割分担は、当時の性別観や社会規範を反映したものでした。一般に男性使用人は女性使用人よりも高給かつ高い地位にあると見なされ、家の内でも外でも男性が公式な場を取り仕切る伝統が根強く存在しました。実際、使用人の賃金面でも男女差が大きく、給仕役のフットマンがメイドよりも高給であったり、執事が家政婦より高い年俸を得ていたことが記録されています(例えば19世紀末には執事の年収が約60ポンド、一方家政婦は約45ポンドだった例があります)。裕福な家庭にとって男性使用人を複数抱えること自体が一種のステータスシンボルであり、執事という男性長司の存在は家の格式を示すものでもありました。
男女の役割分担には、慎みと礼節の観点も大きく影響していました。若いメイドたちは貴族の娘同様に慎重に扱われ、男性である執事や主人が女性使用人の私的空間に立ち入ることは避けられました。そのため女性使用人たちの監督は同じ女性である家政婦が担うのが適切だと考えられたのです。逆に、酒類の管理や重い銀器の運搬、来客の応対など対外的・肉体的な業務は男性が担うべきとされ、これらは執事やフットマンの職域とされました。また19世紀の英国では、未婚の女性であっても職場で上位の地位にある場合「ミセス(Mrs.)」の敬称で呼ばれる習慣がありました。家政婦や女性料理長は実際の婚姻状況に関わらず「○○夫人」と尊称され、これも上級女性使用人への敬意と性別役割の反映でした。このようにヴィクトリア朝の使用人社会では、性別によって役割と序列が明確に分けられ、それが家内秩序を維持する前提となっていたのです。
執事と家政婦の序列・指揮命令系統
邸宅内の使用人たちには厳格なヒエラルキー(上下関係)が存在し、執事と家政婦はその頂点に立つ「上級使用人(Upper Servants)」とされました。多くの場合、執事と家政婦はそれぞれ男性・女性使用人の長として対等に重んじられつつも、若干執事の方が上位という位置づけでした。伝統的に男性使用人の方が地位が高かったため、執事は全使用人中でも筆頭と見なされ、家政婦はそれに次ぐ存在と考えられたのです。実際、あるスコットランドの邸宅では「階下で執事ほど重要な者はいない。執事がいること自体が家の格を示す」とさえ言われました。一方で、家政婦は「女性版の家令(スチュワード)」とも称され、奥方に直接仕える代理人として家政を取り仕切る点で執事に匹敵する責任と権限を持っていました。
特に侯爵や公爵といった最高位の貴族の館では、「家令(House Steward)」と呼ばれる上席の管理人が執事と家政婦の上に置かれることもありました。家令は主人の代理として全使用人の採用・解雇や財務管理を受け持つポジションで、執事や家政婦を含む全ての使用人の統括者です。例えばチェシャー州タットン・パークの大邸宅(エジャートン卿の館)では、19世紀後期にハウス・スチュワード(家令)が置かれ、彼が男女問わず使用人全員の雇用と家計簿を管理しました。その下で家政婦が全女性使用人を支配し、執事がワイン貯蔵庫や男使用人を管轄するという明確な指揮系統が敷かれていました。この場合、家令が不在の邸宅では、家政婦が女性使用人の雇用と解雇、および物品の購入管理を担い、執事が男性使用人の採用や来客対応など対外的役割を肩代わりする形になります。いずれの場合も、最終的な命令系統の頂点には主人または奥方があり、執事と家政婦はそれぞれ主人夫妻に直接報告・相談しながら家務を取り仕切ったのです。
執事と家政婦の関係は、「別々の領域を統括するパートナー」のようなもので、互いの業務領域には干渉せず協力し合うことが求められました。例えば、家政婦は食卓の給仕そのものには関与しませんが、テーブルリネンや食器の準備状態を整えることで執事を支えました。また執事も、女性たちの居室に立ち入らずに家政婦に任せることで、館内の規律と平穏を保ちました。こうした棲み分けにより両者の役割は円滑に機能し、最終的には主人一家に対して統一の取れたサービスを提供する体制が築かれていたのです。
日常業務と生活環境
勤務時間と日課
執事と家政婦の一日は早朝から始まり、深夜に終わる長時間労働でした。家政婦は夜明け前に誰よりも早く起床し、各使用人が持ち場で作業を開始しているか目を配りました。朝食前には館中を見回り、暖炉の火加減や掃除の進捗を確認して、主人一家の朝食準備が滞りなく進んでいるかを監督しました。執事は朝食の直前に起床することが多く、自身の身支度を整えた後、朝食の給仕に臨みます。執事とフットマン(または他の従者)がダイニングルームに食事を運び入れ、コーヒーや紅茶を用意し、主人一家が席に着くと給仕を開始しました。朝食後、執事は食卓から高価な銀器や陶器を片付け金庫に戻す一方、家政婦は使用人たちへの朝の指示出しを行い、館内各所の清掃・洗濯が計画通り進むよう監督しました。
食事と休憩
執事と家政婦を含む上級使用人たちは、下級使用人とは別々の場で食事を取る慣習がありました。一般的な邸宅では、「家政婦室」(Housekeeper’s Room)と呼ばれる部屋が上級使用人用の食堂兼談話室として使われ、家政婦・執事・淑女付メイド・紳士付従者(ヴァレット)などがそこで朝食・昼食・夕食を共にしました。家政婦室では、身分に応じてスティルルームメイド(茶飲み係の若い女中)が給仕を担当し、上級使用人たちは主人一家の食事とほぼ同じ質の食事を楽しむことができました。一方、下級の召使いたちは「使用人ホール」で簡素な食事を取り、彼らの食事内容は上級使用人より質素でした。大規模な侯爵家などではさらに厳密な区別があり、家令がいる館では家令と家政婦が主宰する「家令食堂(Steward’s room)」で執事以下主要な上級使用人が食事し、他の召使いは別の食堂に分けられることもありました。いずれにせよ執事と家政婦は、業務の合間に決められた時間だけ食事休憩を取り、再びそれぞれの責務に戻っていきました。
日中から夕方の業務
午後になると、執事は午後茶(アフタヌーンティー)の用意晩餐の準備に取りかかりました。主人一家の居間でティータイムの支度を整えた後、食堂に下りてディナー用のテーブルセッティングを開始し、銀器の磨き上げなど細部に至るまで念入りに確認しました。同じ頃、家政婦は館内を再点検し、客間や廊下の片付けが行き届いているか、メイドたちの午後の仕事が完了しているかをチェックしました。夕刻、家族がディナーの準備を始める時間帯には、主人は執事に髭剃りや服装の手伝いを命じ、奥方は淑女付きメイドにヘアセットやドレス着用を手伝わせました。執事は主人の身支度を整えた後、ダイニングルームで晩餐の給仕を統括しました。晩餐会では執事がワインと肉料理の給仕を受け持ち、フットマンたちに合図を送りながら各皿を運ばせました。一方家政婦は、キッチンやパントリーでデザートの盛り付けやコーヒーの用意など裏方の最終チェックを行い、必要に応じて料理人を手伝うこともありました。
制服と身だしなみ
執事と家政婦にはそれぞれ伝統的な身なりがありました。執事は通常黒の燕尾服やモーニングコートなどの正装を着用し、主人の前に出る際は格式を保ちました。執事の服装は下級男性使用人が着る華やかな従者の制服(リヴァリー)とは異なり、控えめながら高品質な黒のスーツで威厳を示しました。一方、家政婦は控えめな濃紺や黒色の長いドレスに白いエプロンという装いが一般的でした。これらの制服は原則として使用人自身が給与の中から用意するもので、メイドなど下級使用人は年収の2割近くを制服代に充てねばならない場合もありました(もっとも執事や上級使用人は比較的高給であったため、その分質の良い服を揃えることができました)。19世紀末にもなると、主人側が統一デザインの制服を支給する例も増えましたが、それでも執事と家政婦の身なりは質実剛健で清潔感が第一とされました。なお執事は20世紀以降、平時はダークスーツを着用し公式行事のみ燕尾服に身を包むといった形で柔軟になっていきますが、この頃はまだ伝統的な服装が維持されていました。
居住空間と待遇
上級使用人である執事と家政婦には、他の使用人より多少恵まれた個室や私的空間が与えられるのが通例でした。多くの邸宅では、執事には執事控室(Butler’s Pantry)と呼ばれる小部屋が与えられ、そこが彼の仕事場兼私室となりました。執事控室は銀器類や高価な食器を保管する部屋でもあり、執事はそこに帳場机を置いて日々の帳簿整理やワイン在庫の管理を行いました。また執事は夜間も館の安全を守る役割上、しばしば玄関や食堂に近い部屋で寝起きし、不審事があれば即座に対処できるようにしていました(ある邸宅では執事が館内に住み込み、深夜に主人から呼び鈴が鳴れば飛び起きて対応したといいます)。一方、家政婦には家政婦室に隣接した専用の寝室が与えられるか、他の女性使用人とは別の階(例えば中二階など)に個室が割り当てられました。家政婦室は日中は執務室として用いられ、帳簿付けや業者との応対、女中への指示だしを行う空間でした。家政婦もまた館に住み込むのが普通で、年長で経験豊かな彼女は女中たちと同じ屋根の下に寝起きしつつも、一定の距離を保って権威を示しました。
執事と家政婦には微妙な特権も認められていました。他の使用人に比べ休日や外出の許可が得やすく、月に一度程度は家族の元へ帰省することも許される場合がありました。また館によっては、長年勤め上げた執事・家政婦には年金が支給されたり、一生独身で奉公した家政婦に主人が恩賞を与える慣習もあったようです。もっとも当時の長時間労働や厳しい規律は現代の水準から見れば過酷であり、執事と家政婦も含め使用人たちの労働は報酬に見合わない重労働であったという指摘もあります。しかし彼らにとって、その地位と誇りは他では得難いものであり、特に上級使用人は「家の名誉を支えるプロフェッショナル」としての矜持を持って日々の仕事に当たっていたのです。
史料に見る執事と家政婦の実例
ヴィクトリア朝当時の実際の邸宅や記録からも、執事と家政婦の役割分担が詳細にうかがえます。例えばチェシャーのタットン・パークのケースでは、19世紀末に屋内使用人だけで40名にも及ぶ大所帯を抱えていました。同邸では主人家族の規模自体はそれほど大きくなかったものの、社交好きなエジャートン卿夫妻のもと頻繁に盛大なパーティーが開かれ、1887年には皇太子夫妻(後のエドワード7世)が訪問するなどイベントが多かったため、使用人たちは常に多忙を極めました。このタットン・パークでは、家令・家政婦・執事・料理長・淑女付きメイド・紳士付き従者といった主要スタッフが上級使用人と位置づけられ、下級のメイドやフットマンたちを統率していました。家令が全使用人の採用と会計を担い、家政婦が全女性使用人を監督し、執事が酒類管理と男性使用人を指揮するという明確な役割区分が文書に記されています。実際の邸宅の人員表からも、家政婦が「鍵の管理者」として館内の物資を一手に握り、執事が「貯蔵品の番人」として貴重品を守っていたことが確認できます。
他の史料も、執事と家政婦の重要性を物語っています。ハートフォードシャーのとあるマナー・ハウスで執事を35年間務め上げ、100歳まで長生きしたウィリアム・ハレルという人物は、地元紙の取材に「執事は数多くの内緒話を耳にするが…自分の耳に入ったことはすべて墓場まで持っていった」と語っています。この証言は、執事が主人一家の私生活にも深く関わり、その秘密を守る絶対的な機密保持者であったことを示しています。また、スコットランド・エディンバラのある富裕層の邸宅(シャーロット広場7番地のジョージアン・ハウス)では、19世紀初頭には執事が年20ポンド、家政婦が年18ポンドという給与で雇われ、それぞれ家中で最も重要な男性・女性使用人として遇されていました。この家では家政婦が女性使用人を取り仕切り帳簿を管理し、執事は来客応対から給仕・主人の身の回りまで幅広くこなす「万能執事」として働いていたことが日記から再現されています。
実在の大邸宅のガイド資料などによれば、執事と家政婦はそれぞれ長期間にわたり一つの家に仕えることが多く、その家の「伝統の番人」的存在になっていました。例えばある貴族の館では、家政婦が代々引き継いだ家伝のレシピ帳や在庫台帳が残されており、そこには数十年に及ぶ食材調達やリネン類の補充履歴が克明に記されています。それらを見ると、家政婦という役職が単なる使用人以上に一家の歴史を支える管理人であったことが分かります。同様に、執事の日誌や手紙には、どのヴィンテージのワインを何年に何本開けたか、どの客がどの料理を賞賛したかといった詳細が記されており、執事が家のホスピタリティの中核を担っていたことが窺えます。これら具体的な実例は、ヴィクトリア朝の屋敷で執事と家政婦が果たした役割の重要性とその職務内容の広範さを現代に伝える貴重な証拠となっています。
現代における執事と家政婦の意義と継承
ヴィクトリア朝の終焉から1世紀以上が経過した現代では、当時のような大勢の使用人を抱える生活様式はほとんど消滅しました。20世紀前半の二度の世界大戦や社会構造の変化により、多くの貴族が大邸宅を手放し、使用人制度も急速に縮小・廃止されていきました。とはいえ、執事や家政婦という存在が遺産として完全に消え去ったわけではありません。それどころか、近年では歴史ある邸宅を公開する際に「当時の執事や家政婦の役割」を再現する展示が行われたり、テレビドラマや映画でヴィクトリア朝の使用人階級が脚光を浴びるなど、その文化的意義が見直されています。例えば英国のナショナル・トラスト所有の屋敷では、公開イベントで執事役のスタッフが当時の給仕作法を実演し、観光客に当時の生活を追体験させています。また世界的な人気を博したドラマ『ダウントン・アビー』(厳密にはエドワード朝期~第一次大戦後の設定)でも執事と家政婦が主要キャラクターとして描かれ、伝統的な役割分担や主従関係が広く知られるようになりました。
職業としての執事・家政婦も、形を変えて現代に引き継がれています。富裕層の私人宅や五つ星ホテルでは現在でも「現代のバトラー」が雇用され、VIP向けのパーソナルサービスを提供しています。彼らは伝統にのっとった礼儀作法やワインのサーブ技術を学びつつ、IT機器の管理や運転手業務など現代的なスキルも兼ね備えた存在です。執事養成の専門学校や資格制度も国際的に整備されており、イギリス宮廷式の執事術は今なお一種のブランドになっています。例えばロンドンやオランダには執事学院があり、受講生たちは銀器磨きから多言語での接客まで、当時と現代双方のニーズに対応できるトレーニングを受けています。また「家政婦」という語も現代では主に清掃担当者(ホテルのハウスキーピングなど)を指す言葉として残っていますが、ごく一部の大富豪はプライベートハウスキーパーを雇い、屋敷全体の管理を委ねるケースもあります。もっとも、現代の家政婦は当時のように多数のメイドを従えることは稀で、清掃会社の管理職的な立場だったり、家主と契約して家事全般を請け負う家政マネージャー的役割であったりします。
このように直接の形態は変化したものの、ヴィクトリア朝に確立された執事と家政婦の職務概念は、おもてなしの心やプロ意識といった形で現代にも息づいています。当時の執事が培ったワインサーブの手順やテーブルマナーのルールは、今なお高級レストランやホテルのサービスに影響を与えていますし、家政婦が築いた家庭管理のノウハウ(整理整頓や在庫管理術など)は主婦向けのハウツー本に通じる部分もあります。さらに言えば、ヴィクトリア朝の執事・家政婦制度は使用人と主人という関係性を超えて、チームワークによる家政運営モデルとして後世に多くの示唆を与えています。現代の企業経営においてもしばしば、「CEO(最高経営責任者)を主人、公的秘書を執事、総務部長を家政婦に例える」ような比喩が使われることがありますが、それほどまでに執事と家政婦という存在は「組織運営の縁の下の力持ち」の象徴と見なされているのです。総じて、ヴィクトリア朝の執事と家政婦は過去の遺物ではなく、その献身と専門性の精神は様々な形で現代にも受け継がれていると言えるでしょう。
参考文献
- 『ビートン夫人の家政読本』第68章 – 執事の職務(食事の給仕手順など)の詳細
- 『ビートン夫人の家政読本』第2章 – 家政婦の心得(主人の代理人としての責務や日課)に関する記述
- ナショナル・トラスト(スコットランド)公式サイト: 「使用人の一日」記事 – 19世紀エディンバラの邸宅における家政婦と執事の役割・給与に関する記述
- イザベラ・ビートン『家政読本』抜粋(Victorian Londonサイト)
- タットン・パーク(Tatton Park)のビクトリア朝時代の使用人に関する資料 –
- Herts Memories: 「The Upper Ten and the Lower Five Servants」記事
- 「Victorian Servants and Their Uniforms」 – 19世紀後期の執事と家政婦の年収・制服に関する具体例(執事£60、家政婦£45、服装の違い)
- 「現役執事が解説、執事とは?」日本バトラー&コンシェルジュ株式会社
