明治時代における執事の実態

——「家令」制度と近代日本の家政職

結論を先に述べます。明治時代の日本において、皇族・華族の家政を担った正式な職は「執事」ではなく「家令(かれい)」であり、それは明治3年の太政官布告で定められ宮内省が管轄する公的な職制でした。「執事」という独立した職業や、それを束ねる協会は、当時の日本にも、そして執事の本場イギリスにも存在しませんでした。

本稿の要旨
現代の私たちが思い描く「執事(バトラー)」の像は、実は明治期の日本には存在しませんでした。上流家庭の家政を担ったのは、宮内省の管轄下に法制化された「家令(かれい)」を頂点とする家職制度です。本稿では、太政官布告や当事者の証言といった一次・準一次資料に基づき、明治日本における「執事」の実態を史実として整理します。

1. はじめに ——「執事」という言葉の遠近感

黒い燕尾服に身を包み、大邸宅の主人に静かに仕える——現代の「執事」像は、英国のバトラー(Butler)を下敷きにしたものです。しかし、この「執事=バトラー」という理解は比較的新しく、明治期の日本の実態とは相当な距離があります。

では、明治時代の日本で、皇族や華族といった上流階級の家政を実際に取り仕切っていたのは、どのような職だったのでしょうか。結論から言えば、その中心にあったのは「執事」ではなく「家令」でした。

2. 明治政府がつくった家政職 —— 太政官布告第581号(明治3年)

近代日本の家政職制度の出発点は、明治3年(1870)9月10日に公布された太政官布告第581号「宮並ニ華族家人ノ職員ヲ定ム」にあります。この布告により、宮家および華族の家を運営する職として、次の四職が定められました。

  • 家令(かれい)
  • 家扶(かふ)
  • 家従(かじゅう)
  • 家丁(かてい)

重要なのは、これらが個人の裁量で名乗れる肩書きではなく、国家(のちに宮内省)が定めた公的な職制だったという点です。さらに明治17年(1884)の華族令によって五爵(公・侯・伯・子・男)の爵位制度が整うと、こうした家職は各家の家格に結びついた、制度化された役職として位置づけられていきます。華族はその身分・保護・管理を宮内省の統轄下に置かれ、家職もまたその枠組みの中にありました。

つまり明治の家政職とは、個人の職業選択というより、華族制度という国家的な身分秩序の一部だったのです。

3. 家令・家扶・家従・家丁 —— それぞれの職掌

四職には明確な序列と役割分担がありました。旧尾張徳川家などの記録から、その実態をうかがい知ることができます。

明治の家政職 ―― 「家令」を頂点とする序列
01 家令かれい ≒ 英:ハウス・スチュワード

家政全般を統括する最高責任者。職員の労務管理・事務採決・予算編成・出納監督を掌握した。

02 家扶かふ

家令の次席。家令の不在時は代理を務め、当直に立って日々の事務確認と金銀の出納を監督した。

03 家従かじゅう

会計・庶務・近侍・庖厨・什器など実務を分担。帳簿作成から当主への側仕えまでを担った。

04 家丁かてい

家従の下位で職務を細分化。馭者(馬車・のち自動車)や日用品の調達・整理など下級の実働を担当。

図:明治期の家職の序列(明治3年〈1870〉太政官布告第581号「宮並ニ華族家人ノ職員ヲ定ム」/宮内省管轄)

家令(かれい)—— 家政の最高責任者

「家法」に基づき家政全般を統括する最高責任者です。職員の労務管理、事務の採決、予算案の作成、出納の監督までを担い、当主から実質的な運営を任された存在でした。西洋でいえば、バトラーよりも上位のハウス・スチュワードに相当する立場です。

家扶(かふ)—— 現場を束ねる次席

家令に次ぐ職で、家令に事故や不在があればその代理を務めました。当直に立ち、日々の事務確認や金銀の出納を監督する、いわば「現場の部長クラス」です。

家従(かじゅう)—— 実務の担い手

職務が多様に分かれ、会計係(出納帳簿・計算表の作成)、庶務係(稟議原案や往復書類の作成)、近侍係(当主への側仕え)、庖厨係(膳の管理・調理衛生)、什器係(蔵品の管理)などが置かれました。

家丁(かてい)—— 下級の実働職

家従の下位で、職務がさらに細分化されました。馭者係(馬車の管理。のちに自動車運転へ)、日用品の購入・整理を監督する家丁取締方などです。

職員配置の一例(旧尾張徳川家・明治26年〈1893〉)

人数主な担当
家令1名家政全般の統括
家扶2名庶務課長・会計課長
家従7名庶務2・会計3・近侍2
家丁4名実働・雑務
馭者1名馬車の管理

このように、明治の上流家庭の家政は、「執事」という単一の職ではなく、家令を頂点とする組織によって支えられていました。

4. では「執事」という言葉はどう使われたのか —— 徳川義親の証言

ここで本題です。明治期に「執事」という語がまったく使われなかったわけではありません。しかし、その位置づけは現代のイメージとは大きく異なります。尾張徳川家第19代当主・徳川義親(侯爵)は、家令と執事の違いについて、およそ次のように述べています。

「執事」とは、「家令」を雇えない家で使われた呼称であり、小大名や男爵・子爵などの家では、大勢の家職を雇うこともできなかった。

つまり明治の実態においては、「家令」こそが旧華族(とりわけ旧大名家)の格式ある家政職であり、家令を置けるだけの財力・家格を持たない家が、代わりに用いたのが「執事」という呼び方だったのです。旧大名家が家令を必要としたのは、旧領地に由来する広大な私有財産を管理する必要があったからでした。逆に領地を持たない華族の家では、そもそも家職を置けないことも珍しくありませんでした。

言い換えれば、明治日本において「執事」は、家令より格下・簡略の呼称だったのです。現代のような「最高峰の家政のプロフェッショナル」という響きは、この時代の「執事」には備わっていませんでした。

5. 「執事=バトラー」という理解はいつ生まれたのか

では、いま私たちが持つ「執事=上級使用人・バトラー」というイメージは、いつ形成されたのでしょうか。辞書の記述の変遷が、その手がかりになります。

  • 『日本国語大辞典』第2版(2002年) —— この時点では、「執事」の項に上級使用人という語義は掲載されていませんでした。
  • 『デジタル大辞泉』(2019年) —— ここでようやく「貴族・富豪などの大家にあって、家事を監督する職」という語義が加えられます。

つまり「執事=バトラー」という理解が国語辞典に定着したのは、ようやく2010年代のことなのです。その背景には、2000年代に日本で広まった執事喫茶などのサブカルチャー的流行や、その後の本格的なバトラー/コンシェルジュ・サービスの事業化がありました。「執事」という職業像は、むしろ現代になって再定義されてきたものだと言えます。

6. 本場イギリスでも「執事の協会」は1990年代から

「では、執事発祥の地イギリスでは、さぞ古くから執事の協会があったのだろう」——そう考えたくなります。しかし史実はまったく逆です。

ヴィクトリア朝(19世紀)のイギリスにおいて、家事使用人は女性で最大、全体でも2番目に多い職業でした。それほど巨大な職業でありながら、当時のイギリスには執事や使用人を束ねる職能団体も、労働組合も、行政の調査委員会すら存在しませんでした。使用人の就職を仲介したのは、民間の「使用人紹介所(servants’ registries)」や、ガールズ・フレンドリー・ソサエティ、YWCAといった慈善団体だけで、これらはあくまで職業紹介の窓口であって、職業を統括する「協会」ではありませんでした。

では、今日「英国執事の協会」として知られる団体は、いつ生まれたのでしょうか。主なものを挙げると——

団体設立概要
British Butler Institute(英国執事協会/養成機関)1997年ロンドン。バッキンガム宮殿の元スタッフ2名が設立
The Guild of Professional English Butlers1998年(英国法人登記は2000年)元ホテル・ヘッドバトラーのRobert Watsonが設立
The International Guild of Professional Butlers1990年代「詐称者から顧客と会員を守る」ことを掲げた規制団体。付属校の設立は1999年

いずれも、ようやく1990年代後半に登場した新しい組織です。つまり、執事の本場イギリスにおいてすら、「執事」という職業を専門的に束ねる協会・ギルドの歴史は、たかだか四半世紀ほどにすぎないのです。

補足:紛らわしい「古いButler Society」について
アイルランドの「The Butler Society」(1967年設立)や、ドイツの同名団体(1888年設立)を、あたかも古い執事の協会であるかのように紹介する例が見られます。しかしこれらは、いずれも「バトラー(Butler/von Buttlar)」という姓を持つ一族の系譜・親族会であって、執事という職業の団体ではありません。姓の一族会と、職業団体とを取り違えないよう注意が必要です。

こうして日本とイギリスを並べてみると、19世紀(=明治20年代、1890年前後)に「執事の協会」が存在した史実は、どちらの国にも見当たらないことがわかります。近代日本の家政は宮内省管轄の家令制度として、イギリスの家政は個々の家に仕える使用人として営まれており、「執事という職業を束ねる協会」という発想そのものが、まだ生まれていなかったのです。

7. 史実から見えること —— 結びにかえて

明治時代の日本を史料に即して眺めると、次のことが明らかになります。

  1. 上流家庭の家政を担った正式な職は「家令」を頂点とする家職制度(家令・家扶・家従・家丁)であり、その制度的根拠は明治3年の太政官布告にあった。
  2. これらの家職は宮内省の管轄下にあり、華族という国家的身分制度と一体だった。
  3. 「執事」は、その家令を雇えない家が用いた格下の呼称にすぎず、独立した専門職業として確立していたわけではない。
  4. 「執事=バトラー」という現代的な職業像は、21世紀に入って形成されたものである。
  5. 本場イギリスでも、執事の職能団体・協会が生まれたのは1990年代後半であり、19世紀には存在しなかった。

したがって、明治期の日本に「執事」という独立した専門職業や、それを束ねる職能団体(協会)が存在していたとする言説には、史実の観点から慎重な検討が必要です。それは日本にかぎった話ではありません。執事発祥の地イギリスにおいてすら、職業としての執事を束ねる協会は1990年代まで存在しなかったのですから、19世紀=明治期に「執事の協会」があったとすれば、それは本場イギリスに先んじること約100年という、きわめて考えにくい話になります。近代日本の家政職の歴史は、あくまで華族制度と家令制度の歴史として理解されるべきものです。

私たち日本執事協会は、こうした史実を正確に踏まえたうえで、現代の「執事(バトラー)」を、性別を問わず高度なホスピタリティと家務管理を担う専門職として再定義し、その職業的確立をめざしています。歴史を美化や誇張の道具にするのではなく、事実として受け止めること——それが、この職に携わる者の最初の見識であると考えます。

よくある質問(FAQ)

明治時代に「執事」という職業はありましたか?

現代的な意味での「執事(バトラー)」という専門職業は、明治期には確立していませんでした。皇族・華族の家政を担った正式な職は「家令(かれい)」を頂点とする家職制度(家令・家扶・家従・家丁)であり、明治3年(1870)の太政官布告第581号によって定められ、宮内省の管轄下にありました。

「執事」と「家令」の違いは何ですか?

家令は旧華族(とくに旧大名家)が置いた格式ある家政の最高責任者で、宮内省管轄の公的な職制でした。一方「執事」は、尾張徳川家の徳川義親によれば、家令を雇えない家(小大名・男爵・子爵など)で使われた格下の呼称です。明治期において「執事」は家令より簡略な呼び方でした。

明治時代に「執事の協会(執事協会)」は存在しましたか?

史料上、明治期の日本に「執事」という職業を束ねる職能団体が存在した記録は確認できません。上流家庭の家政は宮内省管轄の家令制度として営まれており、職業団体という枠組み自体がまだありませんでした。

執事の本場イギリスでは、いつ執事の協会ができたのですか?

イギリスでも執事の職能団体・養成機関が生まれたのは1990年代後半です(British Butler Institute=1997年、The Guild of Professional English Butlers=1998年など)。19世紀のイギリスには執事の協会も労働組合も存在しませんでした。なお、1888年や1967年設立とされる「Butler Society」は、いずれも「バトラー姓」の一族の親族会であって、執事という職業の団体ではありません。

「執事=バトラー」という理解はいつ生まれたのですか?

比較的新しいものです。『日本国語大辞典』第2版(2002年)には執事に上級使用人の語義がなく、『デジタル大辞泉』(2019年)でようやく「大家で家事を監督する職」という語義が加わりました。日本での本格的なバトラーサービスの事業化も2000年代以降です。

参考文献・出典

  • 太政官布告第581号「宮並ニ華族家人ノ職員ヲ定ム」(明治3年9月10日)
  • 「家令」「バトラー」「華族」「華族令」に関する各種辞典・事典項目
  • 国立公文書館「近代国家 日本の登場 —— 華族制度」
  • 徳川義親の家令・執事に関する言及(久我真樹による華族の使用人組織に関する考証を含む)
  • 『日本国語大辞典』第2版(2002年)、『デジタル大辞泉』(2019年)
  • The British Butler Institute 公式サイト(設立1997年)
  • The Guild of Professional English Butlers 公式サイト(設立1998年)/英国Companies House 登記情報
  • The International Guild of Professional Butlers 公式サイト
  • The Butler Society(アイルランド・キルケニー)公式サイト
  • ヴィクトリア朝の家事使用人に関する研究資料(The Victorian Web ほか)

※本稿は一般に公開された史料・辞典・研究資料に基づいて日本執事協会が編集したものです。/ヘッダー画像:岩倉使節団(1872年)出典 Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。

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